金がない。
なんとか増やそうと思い金策してボートに突っ込むがうまくいかない。
うまくいかないから配当のいいのを狙ってますます三連単ばかり買うのだが、3着が狂って外れる。
悪循環である。
この負のスパイラルから抜け出るのは容易ではない。
どうすりゃいいのだ?
千葉県で郵便ポストに都合90万円弱の現金を投函していた者が特定され、全額返金されたそうである。投げ込んでいたアルバイトの男性曰く、「親元で暮らし家賃や食費がかからず、お金が余っていた。お金を持っていることに罪悪感を感じていた。ご迷惑をお掛けしました。将来、一人暮らしをする時のために貯金する」とのことだ。その金は自分で働いて稼いだもので何ら疚しいところはないのに罪悪感を感じてしまうのはどういうことだろう。両親の接し方を見ていないからなんともいえないが、純粋培養過ぎるような気がする。
翻ってわが身を見れば、この人と正反対である。不労所得をよしとし、それを望んでいるのに意に反して生活は困窮、あげくに親の虎の子も使い果たしてしまったような人間だ。
人倫という観点から見れば、私のほうがろくでもないのは明白だが、この投げ込み犯(というのが適切かはともかく)もダメ人間には違いあるまい。
やはり、世の中中庸が肝心なのかな……。
MJの25周年リミテッド・エディションを購入した。
そう、あの「スリラー」である。
おまけのDVDを見ていて思った。
ここらで止めておけば良かったものを。
今のMJとは全くの別人である。
それにしても、このアルバムは、今聞いても本当に素晴らしい。
06年までで、全世界で何と1億4000万枚の売り上げだそうだ。
前人未到の記録だろう。
話はガラッと変わるが、27年前の事件で逮捕されてしまったKM。
ワイドショーでは、一度は引退した当時のレポーターが再登場し、ロスの現場から生中継していた。
「ここに改めて立ってみると、私の脳細胞がドンドン活性化されていくようです。」とコメントしていた。
これからも、いろいろな事象が蘇ってくるのだろう。
MJには、音楽の方で、華麗なる復活を期待したいものだが・・。
この東京で、どこをどう歩けば、ああした<足>になるのだろうか。
爪は暗褐色で、その長さは7~8cmは伸びている。
何か独り言をブツブツと言いながら、時折首や腹のあたりをボリボリと掻いている。
それが電車の中だからたまらない。
電車を降りて、上司にそのことを言うと、「ああ、すごかったなあ。象の足みたいになってたな」。
象の足。
そうなのだ。
サバンナを何千kmと移動してきた後の象の足。
乾燥して、肌の表面がカピカピに乾ききっている。
とにかく凄い足であった。
あの象の足は、今日はどこを歩いているものか。
大雪にも負けず、「わらしべ夫婦双六旅」を観てきた。
もう恒例となった勘三郎・藤山直美の新橋演舞場2月公演である。
いやあ、とにかく面白い。
理屈抜きで笑えるのだ。
普通、いい大人があんまり笑いすぎては恥ずかしいから、周りを気にしつつ観たりもするのだが、アドリブで次から次に畳み込んでくるものだから、そうした歯止めをする暇がないのだ。
ダチョウ倶楽部の上島が、なかなか頑張っていた。
元モーニング娘の矢口真理は、爆走する藤山直美を見てきっと思っただろう。
私は本物じゃなかったんだと。
帰りの階段を下りる途中、僕の前にいた初老の男性が連れにこう呟いた。
「これでまた元気を貰った。」
つまりはそういうことなのだ。
と、ブレイクするか微妙な小島よしおのネタで入ってみましたが、現実派そんなに穏やかな話ではない。
昨夜行きつけの雀荘で麻雀を打っていたところ、突然警察官が10人くらい入ってきてゲームは終了され、中にいた人間、卓が2つたっていたので僕を含む客8人と従業員4人が新宿警察署に連行されてしまったのだ。
2時間くらい事情聴取を受けたり写真を取られたりして、客のほうは賭博行為は法違反であるのでもうしません、みたいな上申書を書かされて一応お咎めなしということにはなった。従業員はその後も取調べが続いていたようである。まあ、こんなことは、なかなか体験できないのでいい経験といえばいえなくもないけれど、あまり気分のいいものではない。
確かに賭博といえば賭博だろう。しかし、こんなしょうもないことを血道あげて取り締まるよりもっとやることがあるんじゃないかねえ。
と思っていたら、「ビデ倫を家宅捜索…薄いモザイク、露出ヤリ過ぎた?」だの「キャバ嬢スカウトの「カラス族」を書類送検…警視庁」なんていうニュースが入ってくる始末である。
この国の警察はイカれてるんじゃないのか?
プライオリティが判断できない人間は絶対使えない。警察関係者、少なくとも警視庁においてはよく自らの責務に立ち返って職務を行うべきだろう。
ようやく渋谷に着き、余りの暑さに一息つこうとcoffee shopへ入りアイスコーヒーを飲んだ。
10分後、目当ての劇場へ行ったのだが、エレベータの数字を押してもランプが点かない。
あっ!間違えた、ここじゃない。
渋谷ではなく、下北沢だったのだ。
好きな劇作家の公演だっただけに、残念である。
遅れて行く気力ももうなく、仕方なく家に帰ってきた。
スカパーで小松島記念競輪3日目を見る。
実況は女性なのだが、これが実にいい。
よく勉強しているし、選手一人一人へのコメントに愛情が溢れている。
一度訪れてみたい競輪場だ。
そして今大会の本命、魔王・小嶋が昨日の落車で肩甲骨、肋骨を骨折してしまったらしい。
全治2ヶ月とのことだ。
1位に選出されたオールスター(9月:高知)も欠場だろう。
ここで山崎とどういう戦いをするのか楽しみにしていただけに、これまた残念。
早期回復を祈るしかない。
往復の電車の中で昨日買った本を読んだ。
非常に興味深く、あっという間に読み終わってしまった。
『ヨシアキは戦争で生まれ戦争で死んだ』という。
再来週所用で広島へ行く。
広島市民球場へ行く前に、今一度原爆ドームを見つめたいと思う。
昨夜、田舎から帰ってくる途中の電車の中で、酔っ払いを見た。
学生だろう、まだ若い。
完全にグロッキー状態で、横にのびた椅子の約半分を陣取り、寝転がっている。
軽ーく吐いており、椅子にゲロがかかっている。
そこから一筋の胃液が垂れ、床を伝って反対側の椅子の下まで延びていた。
おそらくコンパかなんかやって、自分は飲めるんだとばかりに一気に酒を呷ったのだろう。
吐くというのは若さの特権だと思う。
吐いて吐いて強くなるのだ。
僕が最後に吐いたのはいつだろう。
30を越してから、飲むと100%記憶をなくしてしまう有様である。
吐いていても忘れてしまっているのかもしれない。
目の前の若者が寝返りを打った。
ゴホ、ゴホッと咳をしている。
錦糸町、東京、横浜。
きっと起き上がれまい。
横須賀まで行くのだな。
世はGWの只中。
羨ましい旅である。
これが超一流の戦いなのか。
名人対棋聖。
ここ数年、僕は日曜の朝には将棋のNHK杯を見ているのだが、画面から目が離せない戦いを初めて目の当たりにした。
駒の動かし方?
正直よく分からない。
だから僕が見ているのは、いわゆる<読み>ではない。
棋士そのものを見ているのだ。
決勝戦だからか、盤面の片隅に、佐藤、森内のそれぞれの表情が映し出される。
解説の島八段曰く、「これはちょっと差がつきましたね」というように、序盤は森内名人の優勢であった。
僕は佐藤棋聖の表情を見つめた。
これは諦めている顔ではないぞ。
冷静な名人とは違い、ふーと息を吐いたり、頬を一杯に膨らませ、何とか打開策はないものかと熟考する。
耐えるんだ、耐え忍ぶんだとばかりに、駒音高らかに一手、また一手と打ち付ける。
「ものすごい迫力ですね」と島八段。
「目が離せません」と中倉女流。
130手を超えたとき、佐藤は一瞬安堵の表情を見せた。
「勝った」という顔である。
直ぐに、「負けました」と森内名人。
その認め方も、実に爽やかであった。
日曜の朝から凄いものを見た。
それは、<勝負師の誇り>である。
喉が、異常に渇いていた。
池波正太郎先生のエッセイ「おおげさがきらい」を、今日の帰途読んでいた。
その中に、<牧野博士の声>という文章がある。
まだ氏が新国劇の脚本・演出をしていた頃の島田正吾について書いたものだ。
これを読んで、僕は不覚にも目頭が熱くなった。
島田正吾の舞台を観ていて良かったと思った。
人が生きるということの肝心は何なのだろう。
その答えが、このエッセイの中にあるように思う。
明日は、池波先生が生前よく通った料理屋に行く予定だ。
大女将は元気かな。
good timing!
昨日「殿のちょんまげを切る女」という舞台を観てきたのだが、なぜこの舞台に東国原知事が陣中見舞いに訪れたのか、ようやく理解した。
この話の舞台が、宮崎なのだ。
土産物屋には、宮崎の産物まで並んでいた。
まさに宮崎のセールスマン。
肝心の舞台の方も、勘三郎・藤山直美という名コンビで悪かろうはずはなく、特に藤山直美の演劇魂には感銘した。
DNAというのは偉大である。
ちなみに、私がよく行くBARで入れているボトルも宮崎焼酎なのだ。
人生はタイミングなのだなあ。
昼飯は六本木に行く。
神谷町では駄目なのだ。
近すぎる。
六本木まで行くと、たった30分間でも、ああ違った空気を吸ったなと思うのだ。
よく行くcafeがある。
そこはペットも可で、僕がコーヒーを飲む傍らで犬がワンワン鳴いている。
それもまたいいのだ。
今日は「ビリー・ジーン」がかかった。
カッコいいね。
隣の犬と目が合った。
お願いだ。
そんな目で見るなよ。
朝青龍八百長、そんな記事が載った。
八百長により20回目の優勝を飾ったというのか?
美しい国。
下世話。
一体どちらを信用するというのか。
僕は相撲が好きだ。
一瞬のぶちかまし。
それを信用しているからな。
痛み。
100、1000、10000。
痛みを知る。
重要だね。
疑う暇がないものな。(疑うものに金は張れんよ。)
そうか、そういうことだったのか。
先日スーパーに寄ったとき、いつもは高く積み上げられている納豆が1個もないので、何かあったのかと思っていたら、「あるある大辞典」だったのだな。
つまりは、あれに踊らされた者達が買い占めたってわけだ。
それが、一転して捏造。
納豆だけに、藁をもすがったということか。
サイト管理者を10年近くもやっていると、「ウマが合う人間」とうのも多少なりともできてくる。
先日、数少ないそうした中の一人であるK君(失礼ながら私の方が多少年長であるので)と杯を傾ける機会を得た。
私からするとK君を見ていると歯がゆくてしょうがない。というのは、K君は仕事人としての能力はもちろんだが、一人の人間としての生き方を心得ているように感じられる一方でもっといい評価を得られるステージに立てるんじゃないか、と思えるからだ。
ところが、当のK君はそんなことは気にしてもしょうがないでしょ、とばかりに飄々としている。
そんなK君を見ていると、いわゆる社会人としての価値観みたいなもので薄汚れてしまった自分を恥じ入ってしまうのだった。
悪い癖で、酒の席で小難しいことを語ってしまう。しかも、若年者に対してそういうことをいうと、偉そうだ。
酒飲みに上も下もない。
基本に立ち返って楽しい酒を飲みたい。そういう心根をこのところ忘れていたのかなと思う。
反省。
一年の計は元旦にあり、という。
日は変わってしまったが、なんとかぎりぎり範囲内としてもらいたい。
今年は酒も博打も本腰を入れていきたい。
去年は自分の環境が変わったこともあり、すべてに中途半端だったように思う。
今年の計として、何事にも後悔しない、そんな行動をしていくつもりだ。
旧友と飲んだ.。
もちろん言葉は交わした。
でも、言葉はいらない。
分かりあえる。
それが、僕らの生き様。
『エッシャーに魅せられた男たち』という本を読んだ。
M.C.エッシャーというオランダの版画家に魅了された3人の男たちの人生を扱ったノンフィクションである。
その一人に、大伴昌司という人がいるのだが、この方の母上の言葉で非常に印象深いものがあった。
「息子はへんな人でした。・・・でも、今、へんな人っていなくなったわねえ。」
へんな人。
先週六本木で昼飯を食い、地下鉄の駅へ向かう途中、どこからどう見ても男である人が、セーラー服を着て行過ぎていった。
顔には軽く化粧まで施してあった。
僕の前を歩いていたOL二人が、すれ違った途端、何あれというように忍び笑いをしていた。
僕もすぐに男だと思ったのだが、本人は完全に自分の世界に入り込んでいるのか、堂々と道を闊歩していった。
僕はその後ろ姿を見て、ある意味立派だと思った。
己を貫き通している。
今の時代、少しばかりへんである方が余程全うなのではないか。
少なくとも、若いくせに何百万貯金しているような奴より信用できると思う。
M.C.エッシャーという版画家も、余りに版画にのめりこむ余り、妻子は逃げ出し、いまわの際においても妻子はとうとう駆けつけなかったという。
見放されたのだ。
今渋谷の文化村で、このエッシャーの展覧会が開かれている。
僕のような凡人は、その稀なる版画を見てへんにならないとな。
引っ越してから、ようやく落ちついたので、ジャパンネット銀行の口座を開設し、即時投票を行うことにした。土曜日に入金に行き、とりあえず5万円入金してきた。
スポーツ紙を買い、番組を見たところ、競艇は平和島と戸田、浜名湖に若松のナイターがあるようだ。中央競馬は2歳の重賞があった。
朝一からナイターの競艇が終わるまで一日中パソコンの前にいたが、結局5万ほど勝つことができた。競馬のほうはいまいちの調子だったが、競艇はインが持つと思えば持つし、まくられると思えば本当にまくるし、とかなりの好調だった。
そして、本日は競艇は気合を入れて開催している全場……15場ほどあったか…に手を出すことにしたのだが、これがいけなかった。本命サイドをぼちぼち的中するものの、めったに的中せず、そもそも締切に忙しすぎて、ロクに検討もできず、競馬もいまいち。マイルCSと京都の最終を本線でとって競馬のほうはなんとかトントンにしたのだが、この払戻金を全部競艇に振り替えたのが最悪だった。大村の最終をなんとかとったが、ナイターの桐生と若松の前半戦で結局スッテンテンになってしまった。
2日間で41万購入し、36万の払戻と率としては悪くないが、なんでもかんでも手を出しすぎたのが災いしているようだ。
ともかく疲れた2日間であった。いろいろな点で勘を戻すまでにはもう少しかかりそうである。
古本ネットで4冊ほど買った。
そのうちの一つに、「芹沢博文の破荒外天盤記」がある。
第1章が「勝負」。
これを読んで目が点になった。
その理由をここでは書かない。(書けないのだ。)
久しぶりに訪れたカウンターバーで、そんなことをつらつらと考えた。
週の半ばからか、雨だからか、<15席の営業>とのこと。
僕が座りたい席で、店長が書類に目を通している。
それを見やりながら、次の勝負をどこでするか、しばし考えた。
いずれにしろ、己に響く渾身の勝負をしないとな。
酒には飲まれるな。
昔から格言として言われていることである。
酒なんてものは、飲まれるぐらいに飲まなきゃ面白くもなんともないだろう、これが私の基本的スタンスである。
そうは言っても<社会人>となるとそうとも言ってられず、程酔いで止めることになる。
酒というものは正直なもので、そのときの精神的な葛藤が如実に酔いに表れる。
先週の金曜日がまさにそうで、これはいかん、そうは思ったのだが、気がついてみると、おのが口から暴言が迸り出ていた。
それはまさに迸りで、止めることなどできない。
言うだけ言って、その場を後にした。
行きつけのバーでさらに深酒。
気がついたら、道端で寝転がっていた。
今回もこの代償は高くつくのだろう。
それにしても、野宿の後の朝の空は、なぜにああも目に染み入るのだろうか。
いや、これは凄い才能だ。
2時間にわたって繰り広げられた迸りに、打ちのめされた。
昔から一度は観てみたいと思っていたイッセー尾形の一人舞台へ行ってきた。
「男の色気」というのはこういう人を言うのだろう。
入場する際に渡された一人舞台の資料に、過去の新聞記事の切抜きが載せられていた。
「型破りのひとり芝居」
「人付き合いが不得手」
「マニュアル化を拒む」
会場には、見るからに常連と言う人で占められていた。
これだからやめられないんだよなあ。
舞台が終わり、退場する人々の顔のすべてに、そう書かれていた。
凄まじい戦い。
帝京対智弁和歌山の最後の攻防、いや、青春の残酷さを見た。
今見なけれなならないもの。
12対8が一挙に1点差に詰まる。
そのきっかけが四球に死球。
高校野球、いや(今回はこれがやけに多いが)、昨今のジャイアンツの試合もそうだ。
ミスが確実に点に結びつく。
それが単打ではなく、3ランホームランとなるところに青春の厳しさがあるのだ。
こうも容赦がないものか。
帝京は投手がいない。
「××君がマウンドに上がるのは△△中学以来との情報が入りました。」
僕は釘付けになった。
彼らの野球を見なければ。
12対13。
サヨナラゲーム。
僕はいたたまれなくなった。
ガツンと、脳天にパンチをお見舞いされた気がした。
シビレ節。
植木等の歌である。
これ、最近亡くなられた宮川泰氏作曲の歌だ。
以前飲みに行っていたバーで、その店のマスターの記念日(どういう日であったか忘れたが)に宮川さんがピアノを弾きに来ると言うタイミングがあった。
僕にとっては<宮川さん>とは、紅白歌合戦の蛍の光の指揮者という印象で、はっきり言ってその時は、ああそう、そんな感じだった。
当日僕は他の飲み会が入っていて、遅れて行った。
その時点で僕は相当に酔っており、店のドアを開け、立錐の余地もないと見るや、そのまま立ち去って他の店へ行った。
その日は挙句の果てに、場末のラーメン屋で管を巻いていた。
僕が毎週チェックするラジオ番組がある。
そこで先日急遽<宮川泰特集>が組まれた。
「シビレ節」などがかかった。
僕の尊敬するパーソナリティが、宮川さんがいかに素晴らしい音楽家だったかを説明した。
小泉云々などは最低の人間と思っているが、僕はこの音楽家だけは信じる。
全幅の信頼を寄せ、盲目的に信じて27年になる。
言いすぎだが、贔屓とはそういうものだ。
宮川さんの音楽に俄然興味が出てきた。
でも聞いているのだ。
ズームイン朝。
カリキュラマシーン。
宇宙戦艦ヤマト。
あの時、無理にでも店に入って、1曲でもその音色を聞けばよかった。
遅すぎるんだよな、僕は。
仕方がないな。
猛スピードで流れ行く車窓の景色に目をやりながら、のんきにそう考えていた。
切符は胸ポケットに、東京へ戻ってからの地下鉄の定期とともに現金はポケットへあった。
こういう時に、日ごろかばんを持ち歩かないと助かる。
だから、実際にかばんのありかを忘れてしまっても、僕は仕方ないとのんきに思っていたのだ。
酒を飲んだ。
出張で新潟へ行った。
淡々と説明を済ませ、僕は以前お世話になった方のところへ行った。
業務終了後飲みに行こうということになった。
僕はそこで友人が仕事を辞めたことを告げた(知らなかったようだ)のだが、そのリアクションが、誠に的をついていて、嬉しくなった。
分かる人には分かるのだな。
その後は、僕も酔ってしまい、酔いに任せて小橋を売り込んでおいた。
彼が走っている場所、あそこは観光でもいいんじゃないですかあ。
キーストンの話。
数年前のスプリンターズSでの悔い。
酒が進む。(抑えましたが)
日帰りのため、新幹線に乗った。
自由席だが、始発のため空いている。
今日買った本を取り出した。
途中トイレに立ち、その帰りに迷路にはまった。
どこが自分の席だったか、完全に分からなくなったのだ。
大事なものはすべて身につけていた。
なので、僕は席探しを断念し、連結部分で寝てしまった。
東京に着き、念のため席を確かめようと列車の中を進むと、僕のかばんを持った車掌さんが前からやってきた。
「あ、それ、僕のです。」
「本は?」
「はい、それも僕のです。」
縁あって、かばんも本も戻ってきた。
<宙ぶらん>
日本中の誰よりも、この本は僕のためにある、そう思った。
目を閉じると、西日に照らされた後姿が思い浮かぶ。
実に味わいのある背中だった。
今朝、お世話になった方の突然の訃報に触れた。
実はその方と、10月末、僕は競馬へ行く予定になっていた。
「いた」と書いたのは、それが叶わなかったからである。
『悪い、今週行けなくなった。』と僕の職場まで言いに来られたのが最後となってしまった。
悔やまれる・・。
こんなことなら・・。
あれはいつだったか。
「ゆっくり映画でも見たいね。」という言葉を聞いたことがある。
その方が時間があれば映画館へ行くことを聞いて、ちょっと驚いた。
それも、話題の映画というより、ミニシアターへよく行くとのことで、また非常に博識だった。
その時、僕はこの人のことを何も見ていなかったのではないか、そう思った記憶がある。
行く予定だった競馬の帰りに、僕はゆっくり映画の話をしてみようと思っていたのだ。
そういう話が出来る人だった。
仕事に厳しい方だったが、僕が(勝手に)思うに、ここ数年は、何か違うことを考えていたのではないかと思う。
思い切って職を辞し、ソーセージ職人でもやってみるか、そんなような・・。
くだらない組織論を振り回す人間が多い中、何よりも、清廉な人であったと思う。
いい人ほど先に逝く。
これって、本当なんだな。
6個目の眼鏡を買った。
安いので、つい買ってしまう。
この眼鏡で。
スポーツの真髄を見たい。
<生きる肝心>を何とか見極めたいものだが。
久しぶりに野宿してしまった。
懐かしいね。
自宅へ戻る途中の公園のベンチで2度寝である。
気持ちいい。
つまりは、そういう人間なのだね。
わが選挙区の候補者、はじめてポスター見る。
いずれも人相悪し。→行かない、今回も。
瀬川アマが1勝1敗に持ち込んだ。
60年ぶりに行われているアマチュアのプロ棋士試験である。
6人のプロ棋士と戦い、3勝すればプロへの道が開けるというもの。
この瀬川さんは、奨励会で年齢制限により涙を呑んだ。
それでも、アマとして余りに強く、プロをも飲み込む執念に、将棋連盟が門戸を開いた。
僕は、このバックには米長先生の英断があると思っている。
久保利明A級。
将棋を知らない僕でも分かる。
NHK杯で羽生を撃破したバリバリのトップ棋士である。
「勝てない相手ではない。」
瀬川さんの言葉が頼もしい。
実際に勝ったことがあるそうだ。
9・17
対久保戦の日程である。
今テレビでは、ほだされた醜いモノどもが、「改革を止めてはならない」とか「ここで立たなきゃ女が廃る」とか言っている。
こんな連中を本当に信用してよいのか。
おい!民を、馬鹿にするなよ。
それにしても物凄い暑さである。
息をするだけでも暑い。
特に東京のコンクリートの照り返しは半端ではない。
焼き魚ならぬ、焼き人間になってしまいそうだ。
そうした中、<なかなかなもの>を昨日観て来た。
吹越満の『mr. motion picture』と題された一人ライヴだ。
自分の影やシルクハットをスクリーンに影として映し、そこにクレジットが反映される。
のっけからそんな感じで、その後の展開も唸ってしまった。
面白い。
それでいて全くベタでない。
才人とはこういう人を言うのだろう。
観終わって、なぜかジンが飲みたくなった。
『毎日かあさん』という漫画をご存知だろうか。
西原理恵子女史が書いている。
これがなかなかいいのだ。
手塚治虫賞を受賞したそうだが、それも頷ける。
何がそんなにいいのか。
それは<情念>だと思う。
テーマは、女史のお子さんとの毎日を扱ったものだが、色が感じられ、体温が感じられ、声すら聞こえてくるような気がする。
これを読んでいると、金、有能、スマート、そんなものがいかに薄っぺらなものか良く分かる。
『毎日かあさん』、薦めなくても結構売れているそうだ。
ちなみに女史は、結構な打ち手(マージャン)らしい。
信用できる。
所謂「都落ち」してはや2年、自分も環境も含めて物足りないなあと思うことしきりではあるが、一方で職場でも信用できる人が多少できつつあるこの頃ではある。
あなたは、こんな僕でも東京に出張っていけば最高のもてなしをしてくれる。それは、単に金という意味ではなくてね。
どういう訳か、あなたと最初に出会ったときの僕らは必ずしもいい関係ではなかったと記憶しているけど、そして、仲良くなってからも幾度となく喧嘩したように思うけど、僕はあなたのことを生涯の友だと思っている。
謂わば「皮膚感」とでもいうのかなあ。
言葉では説明がつかないけれど、そして他の人にはわからないけれど、僕らの間ではお互いわかる何かがある、と僕は勝手に思ってるのだけれど。
銀座の立ち飲みで飲んだ。
いい感じだという。
嬉しかったね。
ここを教えてくれた人と一緒に飲んだのは、もう遠い昔だ。
今を生きる人間と、やはり付き合いたいね。
宿題をやってこなかった生徒に業を煮やした先生が、椅子と机を持たせて教室から締め出したところ、停職1ヶ月を食らったそうだ。
字ずらしか読んでいないので詳細は不明だが、いや、先生も大変だなと思ってしまった。
何か重大事が起こると、そういえばあの時こうだった、ちょっとおかしかったと必ず言う人がいる。
それが一人だけならいいのだが、2人3人と増え、いつしかその事だけにターゲットが絞られ、指摘の一つから徹底攻撃へと変貌していく。
これは恐ろしいことだ。
こういうのを没個性というのではないのか。
最低限の品性を失ったら最後だ。
もっとギャンブルに身を入れないといかんな。
現在開催中の藤沢秀行名誉棋聖の第5回書展に行って来た。
満員で立錐の余地もないのではと思っていたのだが、意外なほどに空いている。
「白鶴玄猿」。
「吾道」。
「凛〃」。
「石」という字のシンプルさ。
いいなあ。
金があれば即買いたい。
奥の間に進んでびっくりした。
何と、御大が中央のソファに座っていらっしゃる。
和服姿で、モニターに写る昔の写真を見ては、「これはあの時だ」とか「これは石田だ、趙だ」なんて解説をしている。
感動した。
あの<秀行引き寄せの金網>の伝説の人が目の前にいる。
僕は近くに座り、先生の右手をじっと見た。
これが修羅場をくぐってきた手か・・。
会場の一隅に、最近出版された本のタイトルにもある軸があった。
「野垂れ死に」。
これだ、これなのだ。
これこそ男の美学だろう。
帰り際に扇子を一本買った。
「至楽」とある。(印刷だが、僕にはこれが限界だ。)
「八十を過ぎてからのほうがいいものが書けるようになった」という。
土曜日のひと時、思いがけない福にめぐりあった。
昨日、有楽町のよみうりホールで、「談志ごのみの芸人大全」というのを観て来た。
5,000円というチケット代からすると、ちょっと高いかなと思ったが、なかなか面白かった。
カンニング竹山など、一人でやらざるを得ない状況に完全にやけになっていたが、その苦悩が逆に面白かった。
芸人に勢いは不可欠なのだなあ。
今朝の新聞に、お天気おじさん・福井敏雄氏の訃報が載っていた。
84歳、老衰だそうだ。
福井さんというと、僕は直ぐに<オジンガーZとのしりとり対決>が思い浮かぶ。
抱腹絶倒、まさに伝説の対決で、ダウンタウンも腹を抱えて笑い転げていた。
笑いを取ってやろうという念が二人に全くなく、ただただ真っ正直にしりとりをするからこそ、こちらが思いをもしない言葉の連続に意表をつかれ、笑いの壷を突かれてしまう。
談志師匠が最後に、「それぞれがそれぞれの笑いを築いていけばいいんじゃないですか。」と講評していた。
ゆうもあ大賞も受賞したことのある福井さん。
その経歴を見ると、ひたすらに天気道を全うされた人生である。
それぞれの笑いの意味を、きっと知っていたのだろう。
ホール&オーツのコンサートへ行ってきた。
黄金の80年代。
ベストヒットUSA世代には余りに懐かしい顔だ。
のっけから「マンイーター」。
唸ってしまう。
ダリル・ホールの声がいい。
圧巻はアンコールのラストソング「ふられた気持ち」である。
60年代のライチャス・ブラザーズの全米ナンバー1ヒットだ。
<blue eyed soul>と呼ばれた彼らの曲を同じデュオのホール&オーツがやる。
アメリカロックの揺るぎない伝統がそこにある。
日々の悶々など、とるに足らないちっぽけなものだ。
その底力に素直に感動した。
どうしようもない、と言われている人間がいるとする。
若い衆が、月曜日から休んだ。
無欠(革命)である。
言っちゃあ悪いが、僕も相当やった。
数ヶ月前にもやったさ。
知ってるよ、それが反社会的行為であることを。
「なんという奴だ」
「けしからん」
「来れないだろう、ここまでやっちゃあ」
こういう言葉に嫌悪を覚える人間でいよう、そう思っている。
体制側に回ることは簡単だ。
ああ、あいつは終わった、と言っていれば良いのだから。
ただ確信している。
そんな考え方からナニモノをも生まれてはこないということを。
駄目だ、どうしようもない、と言われている人間にも<面白み>がある。
どうですか?
そちらの方が余程全うだと思うのですが・・・。
久しぶりに面白い本を読んだ。
『勝負師の妻-囲碁棋士・藤沢秀行との五十年』である。
奥さんの藤沢モトさんが書いている。
こんな下りがある。
医者から、かなり進行した前立腺癌の疑いが強いが、肝心(?)の癌細胞がどこにも無い、と言われる。
それを受けモトさんは、「藤沢は、死神すらも退散するような人間なのです。そうそう簡単に死ぬわけがありません。」と言ってのける。
藤沢秀行という希代の棋士の破天荒ぶりに、奥さんの巧妙な操縦術。
本人達が至ってまじめなので、からっとした笑いを誘う。
まさに絶妙な夫婦漫才を見るようだ。
一線を退いた秀行氏は、今でも時間があれば競輪場や競馬場へ足を運んでいるという。
時には、平塚や小田原へも参戦するというのだから恐れ入ってしまう。
<天才を掌で転がす恐るべき猛妻(米長邦雄談)>の女一代記。
元気を呼び覚ましてくれる好著である。
ネットでマフラーを買った。
<PRIDE OF SCOTLAND>と名付けられた渋いブルーのチェックのマフラーだ。
昨日届いたのだが、なかなかにいい。
香川県高松市の商店街にある帽子店から購入した。
それは届いた宅急便の伝票を見て初めて気付いた事で、都内のJRの駅名にもある商店街名でネット広告されていたので、てっきり東京だとばかり思っていた。
不思議な心持である。
どんな店なのだろう。
間口はどのくらいで、店員は男か女か。
家族的経営で、客が来ると店と地続きの居間から、「いらっしゃい」なんて出てくるのだろうか。
(有)とあるから、それほど大きい店ではないように思う。
それぞれの場所に、それぞれの生活があるのだと思った。
高松競輪にでも行く機会があったら、ぶらっと立ち寄ってみよう。
何と言うことだ・・。
大津波で父母、弟を失った少年が答えている。
この少年は何歳なのだろう。
他球団へ行かせてくれよ。
どうしてもメジャーだ。
独りよがりでこんなことを言っている大人たちの何と醜いことよ。
新聞紙上では、だれそれがいくら寄付したなんてことが話題になっている。
たとえ10億寄付しようが、人間の下劣さは顔に出る。
そう、顔なのだ。
ある雑誌に、談志師匠と伊集院静氏の対談が載っていた。
「金で解決するほど下品なことはない、俺はそう思っている。」(今回の寄付のことではありません。あしからず。)
師匠が言っていた。
どれほどの記録より、僕がイチローより松井を上に見る理由がそこにある。
すべては、顔に出るのだ。
21世紀活字文化プロジェクトというのがあって、二日酔いを押して池袋まで行ってきた。
「1行を探して」という題で、作家の伊集院静氏が母校立教大学で講演をしたのだ。
講演といっても堅苦しいものでなく、ヤンキースの松井の話や立大時代の野球部の話が主だった。
相変わらずのダンディー振りで、濃紺のスーツの上下にシャツというお決まりのいでたちであった。
僕の隣に座っていた主婦の二人連れは、パンフに印刷されていた氏の写真を見て、「やっぱりカッコいいね」なんてささやきあっていた。
ちなみに、氏は「ひどい二日酔いでして・・」と言っていた。
以前イチローと対談した際、部屋に入っていった氏の前で、イチローは帽子をかぶり、椅子に座ってひじを突いていたということで、「私は君と対談するつもりはない」と言って部屋を出て行ったことがあったそうだ。
なるほどね、と思わせる。
事あるごとに「松井は、松井は」と言っていた。
松井は、出版社から「あなたが会いたいと言う人であればどんな人でも対談させてあげますよ」と言われ、「それでは伊集院静さんに会いたいです」と言ったのだそうだ。
ジョッキーの武豊も、尊敬する人はと聞かれ、伊集院静さんと即答したということを以前読んだことがある。
不思議な人なのだろう。
帰り際、立教の校舎をしばらく見上げた。
大学入試以来であるが、ギターを抱えている若者や熱心に語り合っているサークルのグループを見て、社会に出てからの自分の10数年は一体何だったのかと思った。
確実に失っているものがあるのだと思った。
ちなみに、氏は急用ができたとかで、講演が終わるとその場を後にしたのだが、ひょっとして京王閣にでも行ったのではないか。
その京王閣初日は、武田豊樹の強かったこと。
あの小橋が一瞬にして離されたものな。
目の覚めるような捲り一閃であった。
先週山形まで行ってきた。
山形は初めてであり、ホテルで一休止した後、街へ繰り出した。
駅前には大手チェーンの居酒屋のネオンがけばけばしく点っているが、せっかくここまで来たのだからと、小料理屋の看板を物色する。
「よしの川」という店の暖簾をくぐった。
カウンターの端に、東海大山形のサインボールが置いてあった。
東京から来たことを告げると、「じゃあこれぜひ食べてみて」と、日本海で上がった岩かきを出してくれた。
通常の5倍はあろうかというビッグサイズである。
さんまのなめろうや枝豆などをつまみに、心地よく酔っ払った。
ホテルへの道すがら、これもお決まりのキャッチが声をかけてきたが、もともと金に余裕の無い旅なのだ。
ホテルに戻り、寝転がりながら数日前買った『そして今夜もエースが笑う(山際淳司著)』を読みふける。
東京から数時間で全く顔見知りのいない土地にいる自分が不思議に思えてきた。
毎日の仕事や雑事に振り回され、酔っ払ってはバタンと眠りこける毎日だが、こうして全く違った環境に身を置いてみると、ぼんやりとではあるが己が見えてくる。
何かもっと大切なものがあるのではないか・・。
何者にも囚われない。
あくせくしない生き方を。
まだまだ青二才ということか。
このところ全く日記を更新できていず、それには理由がいろいろあるのだが、今週からオリンピックが始まる事でもあるし、頑張って書きたい。
これを一日記とするところが、僕の意地汚さであろう。
朝は確かに持っていたはずのン万円がすっかり無くなってポケットをまさぐると1,000円と少しの小銭……、というような時に漫画喫茶の5時間コース900円などというのをよく利用させてもらった。金が無くなった理由は見境無く飲み代に使ってしまったからであったり、フリー雀荘でやられたりといったことだった。金が無いからといって仕事を休むわけにはいかないし、道端で始発を待つのも特に夏や冬は厳しい。そんなわけで、カプセルホテルより安い漫画喫茶のソファで寝るということになるのだ。そんな連中ばかりではないだろうが、周囲を見渡せば始発を待つ連中が大勢いるのが常である。
もともと何か読もうと思って入るわけじゃないのだが、ソファで熟睡できる由もなく、目が覚めれば適当に漫画を読むことになる。夜が明けて表に出た時の太陽がなんと眩しかったことか。
マンハッタンに漫画喫茶ができたという。営業時間がどうなってるのか知らないが、まさか、飲んだくれて軒を借りに来る奴はいないだろう。
深夜の漫画喫茶の一種独特な雰囲気は、日本の盛り場近くに固有のものに違いない。
中途半端であった。
ギャンブルをやっている人間であればピンとくると思うが、馬券なりを買っているそばから、ああ、これは外れてるな、そう思うことがあるはずである。
買っているそばから自分の馬券なりを信用できていないわけだから、これは始末が悪い。
でも買ってしまうのである。
その何が悪いのだ。
開き直るわけではないが、そうした金の使い方が僕は好きだ。
洗濯機でもない。
デジカメでもない。
車でもない。
何やら目の前の構築物の中で生きている人間は何とせせこましいものかと思う。
酔っ払った。
もうこの辺で終わりとする。
自分を含めて、つまらなすぎるのではないか。