August 04, 2007

夏いろいろ。

阿久悠さんが亡くなった。
「甲子園の詩」をもう読むことはできないのだ。
これが僕は結構好きで、毎日欠かさずネットで読んでいた。
きめ細かい視点で書かれており、よく見ているなあと感心したものだ。
物事を愛するということは、こういう姿勢なのだろう。
昨日放映されていた特番を見て、沢田研二、ピンクレディー、都はるみなど、レコード大賞華やかなりし頃、つまり僕の少年時代に丸ごとオーバーラップしていることに感慨を覚えた。
<2006年 いい夏>。
昨年の早稲田実業vs駒大苫小牧のあの死闘に付された題名だ。
8日から始まる夏の甲子園大会。
胸高まる夏。
その一方で、高い代償を払い、4ヶ月の軟禁を課せられた横綱もいる。
反省の夏。
そして、その横綱にパスを出していた元カリスマサッカー選手の自分探しの夏。
彼に責任はないのだが、これはちょっと間抜けな夏、だったな。

投稿者 mustbeangel : 09:16 AM | コメント (0)

June 27, 2006

術(すべ)

韓国。
オーストラリア。
今大会でも随所に采配の妙を見せたヒディンク監督。
次はロシアの監督に就任するそうだ。
お呼びがかかればどこへでも。
まさに縦横無尽。
人も違えば、風土、食べ物も違う。
そうした中で培われた人を使う術。
ヒディンクがゲームを見つめる表情。
実にいい面構えをしている。
あれこそ勝負師の顔だ。
キャプテン?
聞いて呆れる。

投稿者 mustbeangel : 11:13 PM | コメント (0) | トラックバック

June 25, 2006

一夜明けて

自己流を ちょっと伸ばした ジーコ流
この川柳、いろんな意味で実に的を射ている。
ワールドカップドイツ大会では、日本代表は一勝もあげられないままグループリーグ最下位でドイツを去ることとなった。
2年半前にジーコ解任要求デモに触れたエントリーを書いたことがある。8月にはアジアカップ連覇に触れたエントリーもある。

ジーコの能力以前にトルシエ式(欧州的?)の組織的な戦術がジーコ(ブラジル的?)の個の能力を重視する戦術に変わるということで、トルシエが創ってきたものをリセットすることの能率の悪さからであった。

「自由」と「規律」という切り口はステレオタイプではあるが、私としては、どちらが正しいとかの議論以前に長期的視点からの効率の悪さから、ジーコ監督という選択を快く思っていなかったようだ。
上に上げたエントリーでは、アジアカップ連覇を見て、ジーコでもいけるんじゃないかと考えなおしたのだが、結局のところそれはあまり賢い見方ではなかったようだ。
試合だから勝つこともあれば負けることもある。だから今、結果だけを見て「やっぱりジーコではだめだった。」と言うのはフェアではないと思う。思うが、それでも敢えて言おう。「やっぱりジーコではだめだった。」
そして、時期監督に名前のあがっているオシム氏。川渕キャプテンは「ジーコの考えを受け継いでやるにはもっともふさわしい」なんて発言しているが、冗談じゃない。オシムとジーコは全く似ていないじゃないか。
最近の日本代表監督は、オフト、ファルカン、加茂、岡田、トルシエ、ジーコと一貫性が感じられない。欧州出身のオフトやトルシエが一定の評価を得ていることからすれば、欧州人のオシムはジーコ(やファルカン)よりは日本代表に合うだろう。そういう意味では「今よりは」よくなると思う。しかし、代表チームの監督は一貫した流れをもって選出してもらいたいと思う。まして、勝っても負けても4年後には別の監督を連れてきてやり方を変えるのが前提だとすれば、あまりに行き当たりばったり過ぎないか。
元凶は川渕キャプテンなのだろう。

投稿者 yotaro : 04:22 AM | コメント (0)

June 17, 2006

足らないもの。

得点が入るたびにスタンドで狂わんばかりに絶叫するマラドーナの姿を見て思った。
日本に足りないのは、まさにこれだろう。
サッカーで馬鹿になること。
あのマラドーナの姿。
ある意味、これまでのところで僕は一番感動した。

投稿者 mustbeangel : 09:28 PM | コメント (0) | トラックバック

December 10, 2005

夢の旅人。

トヨタカップ出場のため、三浦カズがシドニーFCの一員として帰国した。
このシドニーFCは、日本でも活躍したリトバルスキーが監督を務めているチームである。
チームを取材した番組を先日見たが、ヨーロッパのクラブチームと比較すると、グラウンド、各施設、そのすべてが途上である。
「どうして監督を引き受けたのか?」
この問いに、リトバルスキーは、日本のJリーグ発足のときと同じ雰囲気がした、と答えていた。
つまり、発展途上=未知の魅力があると。
騎手の武豊も、オファーがあれば鞭一つでどこへでも行きますよ、と言っていた。
カズもおそらく同じ気持ちだろう。
心の解放、これこそが一流選手の証ではないのか。
二人とも旅人なのだ。

投稿者 mustbeangel : 08:47 AM | コメント (0) | トラックバック

October 03, 2005

銭湯でばったり

つい先日、自宅近くの銭湯に行ったときのこと、坊主頭に髭面のちょっと強面の男がいた。体つきは細めだが、ほとんど無駄肉がなく、鍛え抜かれた感じだ。よく見ると、大分トリニータのディフェンダー深谷だった。
街中で偶然スポーツ選手を見ることはあっても、銭湯でお目にかかることはそうそうないだろう。それほど嬉しいといった気持ちはなかったが、さすがスポーツ選手の身体は違うなあというのが率直な感想だ。
さて、その深谷だが、1日行われた横浜Fマリノス戦で先制点を挙げる活躍で勝利に貢献した。シャムスカ監督になってから、これで3勝1分で降格圏からはひとまず脱した状況でオールスターが迎えられそうである。3勝の相手も、浦和、名古屋、横浜と強豪ばかりで、ファンボ監督の末期に最下位の神戸にも負けていたことを思うと、サッカーで監督の力が成績に与えるインパクトは相当なものなんだなあと改めて思ったところである。
今年はもう残り少ないが、来年以降のトリニータがちょっと楽しみになった。

投稿者 yotaro : 12:35 AM | コメント (2)

December 15, 2004

それはないだろう

浦和との死闘に勝利して2年連続Jリーグ優勝を決めたばかりの横浜Fマリノスが、天皇杯5回戦で、こともあろうにJFLのザスパ草津に負けてしまった。相当駒落ちしての戦いだったにせよ、負けてしまってはしょうがない。相手をなめるのも大概にしろという話だ。
この試合で主審を務めた高山啓義というのがトンデモナイ奴でこの試合でも草津に2枚のレッドを出して9人での戦いを強いたのだが、過去には1試合でイエロー13枚を出したこともある。Jリーグでも断然の警告出しまくり審判である。
私も時々は試合を観戦に行くのだが、審判が頻繁に試合を切ると見ていても面白くないし、かなりヘタクソだと思われる審判もいる。しかし、そうした連中がそれでも主審を勤められるのはどうしてだろう。
審判の技術が低いというのは10年以上前から言われていることだが、改善されるふしはない。
この試合に限っていえば、試合を観ていないので必ずしもおかしなジャッジとは言いきれないにせよ、過去に「前科」があるのだから疑われてもしょうがない。
ともかく9人でJ1王者に勝った草津にはあっぱれと言っておこう。

投稿者 yotaro : 11:57 PM | コメント (0)

November 01, 2004

功労者

週末、J1の試合を観に、大分スポーツ公園総合競技場(通称ビッグアイ)に行ってきた。
地元の大分トリニータとヴィッセル神戸の試合で、現在最下位に低迷する大分は負けられないところなのだが、過去神戸との相性は非常によく、勝つ公算は高いように思われた。実際、前半で大分が2点を取り、後半開始からは神戸が10人となってシュートさえ打てず、そのまま大分が勝ったのだった。
驚いたのは試合前の選手紹介だ。観客は一部を除けばほとんど大分のサポーターだから、大分の選手の紹介時には歓声をあげ、拍手するが神戸の選手の紹介時は静かなものである。ところが、三浦知良のときには歓声と拍手が起こったのだ。「カズも大した人気だなあ」と妙なところで感心させられた。
試合では一対一でボールの取り合いになるとカズの分は悪く、ボディバランスが悪いのか、キープ力が下がっているのを補おうとしてなのか、再三倒れるのである。倒れてなんとかボールキープするときもあれば、取られてしまうときもあるが、とにかく相手の接触とかでなく、一人で倒れてしまうのだ。それでも、何とかしようという必死さは感じられた。
94年にはあと一歩で出場を逃し、98年はフランスまで行きながら代表から外されたカズのワールドカップ、日本代表に賭ける想いは人一倍強いのだろう。
今ジーコ監督の「功労者招集」が論議を呼んでいる。格下相手ならベストメンバーでなくても勝てるとの考えなら傲慢に過ぎよう。呼ばれればカズは応じるだろう。だが、心は「功労者」としてではなく、真に必要とされての代表召集を望んでいるに違いない。

投稿者 yotaro : 04:27 AM | コメント (0)

August 08, 2004

アジアカップ連覇はいいけれど。

中国人の陰湿ともいえる反日応援が連日行われたアジアカップも結局日本の連覇で終わった。
決勝以外も含め、試合を見た感じでは、多少バイアスのかかった見方なのかもしれないが、スタンドの異様な雰囲気のみならず、ピッチでも日本に不利な笛が吹かれているように感じた(決勝ではそういう感じは受けなかったが。)。
こうした中で優勝できたことは、選手達にとって自信につながるだろう。
以前に書いたように私自身はジーコ監督をベターな選択だとは思っていなかったのだが、それは、ジーコの能力以前にトルシエ式(欧州的?)の組織的な戦術がジーコ(ブラジル的?)の個の能力を重視する戦術に変わるということで、トルシエが創ってきたものをリセットすることの能率の悪さからであった。しかし、テストマッチでもうひとつな試合をしていても、肝心なときに結果を出したことからすれば、ある程度のレベルがあれば、4年弱という準備期間は十分な時間なのかもしれない、必ずしも10年とか20年先を睨んでので強化を行っていく必要はないのかもしれないと考えを新たにした大会であった。
茶の間でテレビを見ている私のような人間には中国人の狭量な態度は不愉快に過ぎるものであったが、完全アウェイの中で全試合を戦ったことは、選手にとってはいい経験となったのだろう。試合には勝ったし、選手にもよい経験ができた。それだけなら、言うことのない大会であったのだが、私には依然として苛立ちが残るのである。
日本のことなど何もしらない中国人達が、なぜ日本に反感を持つのかと言えば、中国政府が半日教育を行ってきているからに他ならない。確かに、第二次世界大戦時に、日本軍が中国人を抑圧したという歴史がある。それを過去のことだといって忘れてしまう必要はない。だが、戦後60年近くを経て、なお、一方で日本に多大な経済援助を求めておきながら、その裏では半日教育を行っている中国政府のやり方はフェアではない。このようなおかしな国で4年後にオリンピックが行われると考えるとぞっとする思いである。
能天気にもスタンドで「日中友好」の文字の入った日章旗を掲げる日本人サポーターには苦笑してしまったが、まだこちらの方がかわいげがあるだけマシだと思った。

投稿者 yotaro : 05:17 AM | コメント (0)

April 20, 2004

病む英雄。

あのマラドーナが意識不明の重態だという。
アルゼンチンでは、ニュースの中で「彼が回復するよう神に祈ろう。」と呼びかけ、市民は、最悪の結果を見たくないとテレビを見ず、結果視聴率が下がったというのだから尋常ではない。
86年のメキシコWC。
伝説の5人抜きゴール。
野球に長嶋世代というのがあるとすれば、僕はまさにマラドーナ世代である。
たとえ遊びとはいえ、サッカーをやるときはマラドーナを夢想してドリブルをしていた。
サッカーから遠ざかったマラドーナは、100kgを超える醜い肉の塊となってしまい、見るも無惨ではあるが、そうした男の現状がスポーツ紙の紙面を独占するのだから、改めてマラドーナのカリスマ性に驚いた。
ファンとはありがたいものだ。
そう思う反面、ちょっと厄介な気もする。
マラドーナの苦悩は、ひょっとするとこの辺に真実があるのかもしれない。

投稿者 mustbeangel : 10:53 AM | コメント (0)

March 22, 2004

8人だけではない。

ジーコ監督の決断には、胸を衝かれた思いがした。
サッカー日本代表合宿中に、宿舎を抜け出しキャバクラで飲食、挙句の果てに他の客と悶着を起こした8人の選手を、31日のシンガポール戦のメンバーから除外したのだ。
この中には、アテネ五輪予選のUAE戦で大活躍した大久保選手も入っている。
ジーコ監督の言葉。
「国を代表しているという重みを分かって欲しい。」
国を代表する。
言葉にすれば簡単だが、平和ボケの僕らにとって、この言葉の持つ意味ほどピンと来ないものはない。
松井秀喜がメジャーに挑戦する際に語った「やるからには命をかけて」という言葉。
あの言葉が強烈に胸に響いたのは、命をかけることを知らない(少なくとも僕はそうだ。)半端者にとって、あの一語があまりに聞きなれず新鮮であったからではないか。
国を代表することの重み。
ジーコ監督は、8人の選手達だけに語ったのではないのだと思う。

投稿者 mustbeangel : 10:29 AM | コメント (0)

March 19, 2004

戻ってきたストライカー

サッカーのアテネ五輪最終予選は、日本ラウンドから五輪代表に戻ってきた大久保嘉人の2発で幕を閉じた。
平山と同じ国見高校出身のストライカーだが、共通点といえばそれ位で全く似ているところはない。
そこにいるだけで武器になる190cmの平山に対し、168cmの大久保はとにかく存在をアピールしなければピッチに立てない。それが、一歩間違えば審判への暴言や夜の街でのご乱行に繋がってしまうのだが、単に天狗になっているというのとは違うのだと思う。いつも背伸びして、突っ張っることが大久保が自らの存在を主張するやり方なのだから。
五輪最終予選直前に大久保はA代表から外され、五輪予選のUAEラウンドにも召集されなかった。ついこの間までは、A代表と五輪代表を掛け持ちしていたというのに、スタンドから試合を眺めなければならないのは、悔しく辛い時間であったに違いない。
日本ラウンドで大久保は、代表のユニフォームでサッカーができる喜びを再認識したことだろう。それが、3つのゴールに繋がったのならば代表から外れた時間は決して無駄ではない。
五輪代表は、結局バーレーン相手に勝ち星をあげることができなかった。まだまだ課題の多いチームには違いない。だが、本番までにまだ「伸びしろ」があるような気がする。

投稿者 yotaro : 02:40 AM | コメント (0)

March 18, 2004

幸せな18歳。

アテネ五輪の出場権をかけ、いよいよ今晩決戦が行われる。
そして西が丘競技場では、バーレーン対レバノン戦も同時刻にキックオフ。
ここまで3チームが拮抗するとは予想していなかっただろうから、ファンにとってはヤキモキ、ドキドキの90分となるに違いない。
この西が丘競技場は収容人数が9000人程という。
片や5万人収容の国立、片や場末の競技場というコントラストが、この大一番に得も言われぬ趣を添える。
おそらく今日も先発出場するであろう平山は、どんな気持ちでピッチに立つのだろう。
平山は高校生としてはこれ以上ない実績を積んでいるし、大舞台も踏んでいる。
それでも先日国見高校を卒業したばかりの18歳だ。
サッカーファンだけでない、国中が注目するような決戦にあっという間に立つことになった。
それを心底喜ばしいと思うのか、それとも多少なりとも戸惑う気持ちを抱いているのか。
平山の場合、僕は後者の方ではないかと考える。
彼はこれからの日本サッカーを背負っていく逸材であろう。
そんなことは素人の僕でも感じる。
ただ、これからJリーグ、世界のサッカーへ出て行こうとした時に、周りの喧騒にちょっぴり戸惑った18歳の時の気持ちというものが、彼を支える力となるのではないかと思うのだ。
その意味においても、平山はやはり幸せな18歳なのだと思う。

投稿者 mustbeangel : 11:07 AM | コメント (0)

March 02, 2004

消化不良

サッカーのアテネオリンピック最終予選、UAEでの日本×バーレーン戦であるが、結局スコアレスドローとなり、すっきりしないまま終わった。
点が取れる、取れないは運にもよるので結果はしょうがないが、残り時間が少なくなってからというもの、長いパスをゴール前に放り込むだけでは、そうそうゴールが狙えるはずもない。それなのに、それこそ何とかのひとつ覚えでこれを繰り返すのだから、見ていても全く点が取れそうに思えなかった。
林の好セーブやオフサイドの判定などで救われた面もあり、負けていてもおかしくない状況で、結果と内容から見れば引き分けでもよかったくらいだ。
UAEラウンドが終わればホームでの3戦となるので、1位通過はできるとは思うが、予選でFIFAランクなりのサッカーをやれないようでは、アテネに行っても出るだけで終わってしまう。
A代表があまりいい意味で注目されていないのだから、せめてu-23の方はしっかりしてもらいたいものだ。

投稿者 yotaro : 01:32 AM | コメント (2)

February 23, 2004

ジーコ解任要求デモについて

インターネットの世界では匿名を背景として、普段は言えないホンネが言える反面、無責任な発言ができてしまう面もある。2ちゃんねるなどはその典型で、玉石混淆のなかから、真に必要な情報を取捨選択するのは自己責任ということになろうか。
さて、ネットの世界を現実に持ち込むと様々な厄介ごとが出てくる。すなわち、自分も相手も存在して、誰だかわかるので、ネット上と同じようにホンネを語るのが難しくなってくるし、発言や行動にも一定の責任を取らなくてはならなくなってくる。
2月22日、ジーコ監督の解任を求める会なる人たちがサッカー日本代表のジーコ監督解任を求めて、国立競技場からJFAハウスまでのデモ行進を行った。デモとはいっても、50人前後の小規模なものだったようだが、朝日新聞や共同通信でも取り上げられたので、世間に趣旨を知らしめるという観点からは、企図した人たちの目的は一応果たされたのだろう。
私自身は正直サッカーに造詣も深くないので的外れかもしれないが、ジーコ監督が日本にとってベターな選択だとは思っていない。ジーコ就任時には、ありゃりゃーと思った口だ。一方で少なくともドイツW杯までに解任されるということもないだろうと思っており、彼らの行動は残念ながら報われないだろうと思う。
こうしたやり方は労働組合チックで古臭いようにも思えるし、代表監督の人事にデモで圧力をかけるというのがそもそもどうなのかと思わないこともない。
ただ、この人たちはネット上の議論を現実に持ち込むことで、(例えば警察からデモ行進の許可を得るなどの)現実世界での手続を踏むといった面倒や直接批判の対象となるリスクを背負って行動しているわけで、その点には感心するのである。
世間にはジーコ監督がよい、という人もいるのだろうし、その人たちがジーコ解任を求める人たちと議論をするのは一向に構わないが、敢えてリスクを冒して行動に出てる人たちを笑いものにしたり、誹謗中傷するのはいかがなものかと思う。いや、そういう事まで含めてリスクを冒しているというんじゃないの?と言われると、返す言葉もないのだが、とりあえずフェアに行こうじゃないの。

投稿者 yotaro : 01:33 AM | コメント (0)