最近、よく漫画を読んでいる。新しいのも読まないことはないが、昔のいわゆる名作的なものを読むことが多い。
今読んでいるのは、手塚治虫のブラック・ジャックだ。
話が概ねハッピーエンドにならないのがよい。ブラック・ジャックが手術した患者が手術は成功したのに別の要因で死ぬとか、患者は助かったが、代わりに犠牲者が出るという話が大半である。もちろんそういう話ばかりではなく、ハッピーエンドで終わるものもあるが、折角治した患者が事故などで結局死んでしまい「俺はなんのために手術したのだ」と悩む場面が多いように思った。
そもそも人が何か行動するとき、悪かろうと思ってするはずはない。その人の考えで最善手を取ったつもりが、実際は最悪だったということは珍しいことではない。思えば、私自身もいいだろうと思って行動してきていろいろとひどい目にあってきた。それは、周りが悪いとかそういう性質の理由ではなく、今客観的に考えれば明らかに自分が悪かったと思える。そのときは正しいと思っていたとしても。しかし、判断を強いられる、その状況に直面したときに、どれだけ「正しい」判断を下せるものだろうか。
そんな小難しいことを考えなくても、もちろん、ブラック・ジャックは面白い。しかし、多くの人はブラック・ジャックに己を投影してしまう場面があるのではないだろうか。例えそれが好ましい結果でなかったとしても、そうした姿が人間らしいのではないかと思っている。
歳をとって、そういした積み重ねが自分の首を絞めるのではなく、思い出として語れるようであればよいのだけれど。