某中華料理店。
丸テーブルに座り、思い思いに今場所を振り返っている。
ちょっと覗いてみよう。
「披露宴がなあ。忙しかったもんなあ。ああくそ!いかんいかん、飲みに行ってもガラスを割らないようにしないとな。パパラッチがうるさいから」
「11勝だってよ。横綱より勝っちゃった。俺もまだまだ捨てたもんじゃないなあ。来場所あんまり上に上がらなきゃいいけどね。(ペロッと舌を出す)」
「ふーっ。かろうじて勝ち越し。押しだけじゃもう限界か。あいつにまた怒られるな。『私のせいって言われるのよ。』ってな。ふーっ」
「(折れた鼻をさすりながら)あー痛。これでも昔ナンバーの表紙を飾ったこともあるんだぜ。いい男が台無しだよ。でも今日の相撲は良かった」
「俺はこんなことでホントは取り上げられたくないんだよ、ホントはな。おい、聞いてるか、そこのモンゴル!(瓶(紹興酒)ごとあおる)」
ちなみにメンバーは、朝青龍、旭鷲山、千代大海、琴ノ若、そして伊勢ヶ浜親方(乱入)、である。
「神山さんとワンツーを決められて良かった」
後閑信一のコメントである。
やはりな、僕は思った。
きっと後閑はそんなコメントをしただろうと思っていた。
半分は安堵し、半分はやりきれない思いが募った。
賞金ランクを見ると、後閑は既に4200万円ほど稼いでおり、ベスト10入りどころか、今後の頑張りいかんではGP出場も夢ではない。
オールスターの走りはフロックではなかったのだ。
無骨なのだ。
不器用なのだ。
そして、優しい男なのだ。
その優しさがレースではマイナスに作用することもあるのではないか。
優勝した神山は、実に3年ぶりのGP出場となる。
苦しみぬいた3年間であった。
でき得るならば、その晴れ舞台で神山-後閑の関東ラインを見たいものだ。
後閑よ。
その時こそ、差せよ。
秋分の日の夕空に、後閑は何を見たのか。
第47回オールスター競輪(西武園)決勝。
秋晴れとはいかなかったが、あの暑熱は遠い昔、ようやくにして夏は行き過ぎたようである。
村上、小野、小嶋、山田、吉岡、小橋らのスター選手の顔は決勝9人の中になく、村上の代わりといっては失礼だが、練習の虫・稲垣裕之(86期生)が勇躍決勝に乗り込んできた。
ラインは、稲垣-市田-横田、神山-後閑、伏見-佐藤-齋藤-榊枝の3分戦となった。
ここは案外と流れは予想しやすく、稲垣の徹底先行と踏んだ。
オリンピック明けの伏見は既に年末グランプリの切符は掴んでいる。
練習不足の身でも決勝に来れたのだ。
ここは気楽に先行を、ということも考えられなくもないが、伏見は意外とそういう点はシビアに走るところがある。
誰だって勝ちたいし、賞金を上積みさせたい。
稲垣が出きり、中断に神山、伏見は捲りに回る。
であれば神山有利となるが、そこは市田も容赦はしないだろう。
僕は後閑の差し切りに賭けてみたいと思った。
ここ数年、後閑は苦しんだ。
それでも腐らず練習に励んできた成果が、二次予選の1着に出たものと思う。
「ようやく実のある練習ができるようになった。」
強面の顔に、さわやかな笑顔が戻ってきた。
楽々と神山を差し切った走りを見て、これは!、と思わせるものが煌いたように思った。
レースは予想していたとおりに進んだが、誤算は横田が離れたことだ。(ホームで落車したが、あれは横田の弱さ以外の何物でもない。)
稲垣の3番手に神山が入り込んだ。
3Fから市田が渾身の番手捲りを打つ。
その後ろから神山が捲り追い込みをかける。
最後の直線。
僕は後閑の位置取り、走りを見つめた。
狙いは市田と神山の間を割ることだったろうが、そこは百戦錬磨の神山雄一郎。
後閑はインに突っ込む。
「後閑来い!!」
戦い済んで日が暮れて。
後閑は、曇天の雲のかなたに何を思ったろうか。
一筋の光明か。
そうであって欲しい。
6日制競輪の最後にふさわしい好勝負であった。
先週は「やる気がないのだったらストライキをやるなどと言わなければよいのに」と書いたのだが、プロ野球選手会は本当にストライキを決行してしまった。
要求の主軸である「近鉄・オリックスの合併1年延期」が通らないことが確実な状況でストを決行したのはどうにもスジが通らない。いつのまにか、新たに加盟する球団のことが争点になっているし、そのくせ、近鉄所属選手にプロテクトをかけるのもだめだというのは意味がわからない。
いずれにしても「やる気がない」と言ったことは見当違いだったようだ。さすがに野球選手、根性だけはある。残念なことに経営者と交渉するだけの知恵は身についていないようだが。あんまり程度のよくない弁護士が後ろで画を描いているのではなかろうか。
今日の左上手。
この感触を白鵬は生涯忘れないだろう。
勝負は完敗であった。
見事なまでに転がされた。
それでも、初めての本割での対決に、俺はやれるな、という確かな手応えを掴んだのではないか。
そこが白鵬の末恐ろしいところだと思う。
同じ白でも、うさぎ饅頭のような白さの出島に、今場所は望みを繋ぎたい。
オリックスと大阪近鉄の合併が本決まりとなりパリーグは来期5球団で行われることがほぼ確実となった。この土日、つまり9月11、12日に労動組合プロ野球選手会はストライキを予告したが、日本プロフェッショナル野球組織と暫定合意に至ったとしてストライキを回避した。以下にその合意事項を全文引用する。
合意事項日本プロフェッショナル野球組織(以下「NPB」という)と、日本プロ野球選手会(以下「選手会」という)は、本日の時点で、暫定的に以下のとおり合意する。
- NPBは、「大阪近鉄、オリックスの球団統合の実施時期を1年間延期する」との選手会の申し入れに対して、交流試合の導入をふまえた来季の影響等諸問題について具体的分析を行った上で速やかに回答する。
- NPBは、現行野球協約の加盟料・参加料を撤廃し、預かり保証金制度を導入する等新規参入への環境を整え、新規参入球団の加盟の促進を積極的に検討する。
- 新たな球団削減があるかもしれないとのファンの不安を払拭するため、NPBは、来季(2005年シーズン)は、セ・リーグ6球団以上、パ・リーグ5球団以上とすることを確約する。
- NPBは、第1項の回答及び第2項の検討、その他選手会の要求事項の検討に時間を要するため、選手会と引き続き協議・交渉を行うこととし、選手会は、9月6日に予告したストライキ日程のうち、9月11日(土)、12日(日)のストライキは実施しない。
- NPBは、選手会との間で、プロ野球構造改革協議会(仮称)を設け、1年間をかけて、ドラフト改革、選手の年俸のあり方などについて徹底的に協議する。
- 選手会は、9月17日の午後5時までに、上記協議が整った場合、9月18日(土)以降、9月6日に予告したストライキを行わない。
2004年9月10日
9月10日(金)午後5時までに大阪近鉄・オリックスの合併が1年間凍結する旨の決定が行われない場合に行うとしてきたはずである。しかし、暫定合意では既に当該合併が前提となっているように見える。
早いもので、もう秋場所の季節となった。
競馬のほうも<中央>場所が始まった。
まさに天高く馬肥ゆる秋だ。
そして相撲界は外国人力士の独壇場である。
外国産がクラシックを連続で優勝しているようなものなのだから。
それはそれでいたし方のないところであるが、今場所はまた違った楽しみも出てきた。
その筆頭が、白い大鵬・白鵬だろう。
怪我さえしなければ、ここ1、2年のうちに朝青龍の好敵手となっているに違いない。
今日も元大関・雅山を柔軟な相撲で切って捨てた。
勢いだけではなく、この力士には底知れぬ奥深さがある。
何より顔つきがいい。
一昔前の任侠映画に出てきた殺し屋。
一言も発せず、依頼だけを忠実に遂行していく。
実に〔ニヒル〕なのだ。
向こう正面の舞の海秀平氏がポツリと洩らした。
「がんばれ日本、と言いたいです・・。」
僕には慟哭に聞こえたぞ。
船橋オート廃止。
今日のスポーツ新聞に記事が載っていた。
池田政、片平らのスターライダーを抱えるオート界の巨星が堕ちることになる。
記事を読むと、平成3年の黒字をピークに年々赤字を計上し、のっぴきならない状況に落ち入ってしまったとのこと。
船橋市は、既に関係者の退職金の算定に入っているとのことであるから、事は尋常でない。
それにしても。
僕もオートの電話投票に加入しているとはいえ、このところ投票を全くしていない。
新聞のオートレース場の入場者人員を見るたびに、この人たちは一体どのような人なのだろうと思った。
競馬でもなく、競艇、競輪でもない。
僕が思うには、彼らは数あるギャンブルの中からオートレースを選択した人ではなかろうか。
そう考えると、廃止の報は<哀愁>を帯びてくる。
平成3年というと、バブルがはじける寸前だろう。
切ない走路に、今日も夕陽が落ちていく・・。
遠方から友が来た。
今から10年くらい前だろうか、同じ職場にいたことがある。
今考えると、僕は何ら建設的な仕事もできず、日々飲み歩いていた。
キャバクラが出始めの頃で、それこそ狂ったように六本木へ通いつめていた。
「一緒に競輪行きましたよね」
そう言われた。
えっ、と思った。
「ほら、年末の」
そう言われて微かに記憶が蘇ってきた。
そうだ。
年末のグランプリで、彼と立川へ行ったことがあった。
僕はしたたかに負け、彼は勝ってにこにこ笑っていた。
確か、(僕にとっては)残念会の酒もごちになった記憶がある。
ひどい人間である。
それにしても、競輪へ行ったことをすっかり失念しているとは・・。
何かの飲み会のとき、彼が<島唄>を歌った。
人のカラオケを聞いて、これは上手い!と脱帽することはほとんどないが、彼の歌は良かった。
土の香りがした。
それは彼がいかに生まれ育った土地を愛しているかの証明だったように思う。
情念のスポーツ・競輪と、どこか同じ匂いがした。
それを忘れているとは。
完全に末期症状、ということだろう。
野球に手を染めた人間であれば。
またそれが野手であったならば。
こんな選手になりたい。
自分の心の中に、アイドルを抱いていたはずだ。
投手が投げる。
剛速球もあれば、切れ味鋭い変化球もあるだろう。
そうした球を打ち返す。
ひょっとすると、中学生くらいの年齢でそうした姿を志すことは必ずしも良いことではないのかもしれないが、僕は夢見ていた。
目指していた。
どんな球種でも、コースでも、自分がここと見定めたところへ打ち返す広角打法を。
1アウト、ランナー1塁。
ヒットエンドランがかかる。
ベースカバーに入ったセカンドの裏をかくように、いい感じのゴロがライトへ達し、一気に1、3塁、チャンスが広がる。
この時、セカンドがいかにも悔しそうに天など仰いでくれれば言うことはない。
悔しいと言っては、それは神をも冒涜することかもしれないが、イチローはついにそんな域まで達してきた。
ここ数週間の打率は空恐ろしいものがある。
図々しい言い方だが。
こんな選手に、僕はなりたかった。
金曜日の深酒のダメージが翌日まで残り、シアター1010で見る予定であった演劇に行くことができなかった。
14:00の開演で、起床時間が13:30なのだから何をかいわんや、である。
来週には先月の飲み代を支払わなければならないので、ありったけの金を集めてラピスタ新橋へと赴いた。
イライラの募る日々が続いていたので、こういう時はギャンブルに限る。
青森記念競輪である。
何ていうことはない。
最終レースが終わった時点で、金はあっさり無くなっていた。
何より悔やまれるのは、10レースの佐々木健の差し目で勝負にいけなかったことだ。
坂本勉頭で何もないと言う周りの情報に惑わされてしまった。
八甲田賞の山田のあの走りは一体なんなのだ。
あれで中部を統率できるとどの口が言うのか。(柔軟に対応するという考えは分からないでもないが、8番手はいくらなんでもなあ。)
浜口差し目の車券はあっさり紙くずと化した。
外に出ると雨は上がり、あの夏の灼熱さはどこに行ったのだというような涼しさである。
負けはしたが、やはりギャンブルはいい。
すべて己に帰ってくるのがいい。
<無意味なものにこそ意味がある。>
この感覚は大切にしたい。
先週山形まで行ってきた。
山形は初めてであり、ホテルで一休止した後、街へ繰り出した。
駅前には大手チェーンの居酒屋のネオンがけばけばしく点っているが、せっかくここまで来たのだからと、小料理屋の看板を物色する。
「よしの川」という店の暖簾をくぐった。
カウンターの端に、東海大山形のサインボールが置いてあった。
東京から来たことを告げると、「じゃあこれぜひ食べてみて」と、日本海で上がった岩かきを出してくれた。
通常の5倍はあろうかというビッグサイズである。
さんまのなめろうや枝豆などをつまみに、心地よく酔っ払った。
ホテルへの道すがら、これもお決まりのキャッチが声をかけてきたが、もともと金に余裕の無い旅なのだ。
ホテルに戻り、寝転がりながら数日前買った『そして今夜もエースが笑う(山際淳司著)』を読みふける。
東京から数時間で全く顔見知りのいない土地にいる自分が不思議に思えてきた。
毎日の仕事や雑事に振り回され、酔っ払ってはバタンと眠りこける毎日だが、こうして全く違った環境に身を置いてみると、ぼんやりとではあるが己が見えてくる。
何かもっと大切なものがあるのではないか・・。
何者にも囚われない。
あくせくしない生き方を。
まだまだ青二才ということか。